遺品整理の仕事を、なぜ私は10年続けているのか

遺品整理の仕事を10年続けてきたと話すと、時々聞かれることがあります。
「どうしてそんなに長く続けてこれたのですか」と。

たしかに、簡単な仕事ではありません。
体力も使います。気も使います。現場ごとに状況は違い、予定通りに進まない日もあります。ご家族の想いが強く残る場所に入る仕事でもあるので、ただ荷物を動かせば終わり、という話でもありません。

それでも私は、この仕事を10年続けてきました。続けてこられた理由は、きれいごとではありません。むしろ逆で、この仕事の大変さをごまかせないからこそ、続ける意味がはっきりしてきたのだと思います。

創業したばかりの頃は、スタッフも私も今のような余裕があったわけではありません。現場に出れば目の前の作業で精一杯でした。

経営者としては、仕事をいただけるか、スタッフの給料を守れるか、来月もちゃんと会社を回せるか、税金や社会保険料をちゃんと納められるか、そんなことばかり考えていました。理想よりも先に、厳しい現実がありました。

でも、現場の数を重ねるうちに、この仕事は単なる片づけではないと、何度も思い知らされたのです。

ご家族にとっては、長い時間を過ごした家であり、暮らしの痕跡が残る場所です。そこにある物のひとつひとつに、歴史があります。外から見れば古い家具や日用品でも、ご本人やご家族にとっては、簡単に言葉にできない重さを持っていることがあります。

私たちが引き受けているのは、物を動かすことだけではありません。その場に流れている時間ごと受け取るような仕事だと感じています。だからこそ、この仕事では手際のよさだけでは足りません。

もちろん、現場ですから段取りは大事です。安全に、効率よく、時間内で、周囲に配慮しながら進める力は必要です。けれど本当に求められているのは、それだけではない。

ご依頼者が今どんな気持ちでそこに立っているのかを想像できる人、言葉にならない空気を乱暴に踏まない人、そういう人がこの仕事では最後に残るのだと思います。

10年続けてきて、私は何度も、ご依頼者の表情が変わる瞬間を見てきました。最初は不安そうだった方が、少しずつ力を抜いてくださる。張りつめていた空気が、作業のあとにふっとやわらぐ。整った空間を見て、やっと前に進めます、と言われる。

その瞬間に立ち会うたびに、この仕事はこれからの日本に必要な仕事なのだと思います。

世の中には、目立つ仕事がたくさんあります。成果が数字で見えやすい仕事もあります。華やかに見える仕事もあります。

それに比べると、遺品整理の現場は、決して派手ではありません。汗もかきますし、地味な作業も多いです。誰にでもすぐ理解される仕事でもないと思います。

でも、私はそこに、仕事の本質があると感じています。人が本当に困っているときに必要とされること。先送りにできない局面で、信頼して任せてもらえること。終わったあとに、やってよかったではなく、お願いしてよかったと思っていただけること。
それは、そんなに軽いことではありません。

10年続けられた理由のひとつは、同じ現場がひとつもなかったことがあげられるでしょう。

家が違えば、状況も違います。ご事情も違います。ご家族の関係性も、残されている物も、建物の条件も違う。だから、慣れだけで乗り切れる仕事ではありません。毎回、考えます。毎回、判断します。毎回、チームで動きます。

その積み重ねが、仕事を単調にしなかったから続けてこられたのだと思います。

この仕事をしていると、作業の途中でご家族がぽつりと話してくださることがあります。住んでいた頃の思い出や、亡くなった方の口癖、昔の出来事。最初は緊張していた方が、少しずつ言葉をこぼしてくださることがあります。

もちろん、私たちはカウンセラーではありません。
現場では作業が中心ですし、長く立ち話をする時間があるわけでもありません。それでも、人が暮らしていた空間の中に入る仕事だからこそ、そういう瞬間に立ち会うことがあります。

ある現場で、ご家族がこんなことを言われたことがありました。
「片づけなきゃいけないと分かっていたのに、なかなか手がつけられなかったんです。でも今日やっと前に進めそうです。」

その言葉を聞いたとき、私はあらためて思いました。私たちがやっているのは、単なる作業ではないのだと……

人は、物を通して時間を生きているのではないでしょうか。写真、家具、食器、日用品。ひとつひとつはただの物でも、その人の暮らしが重なったとき、そこには時間が宿ります。だからこそ、片づけるという行為は、思っている以上に大きな意味を持つことがあります。

その時間を乱暴に扱わず、でも前に進める形にする。それが、この仕事の役割なのだと思います。現場では、スピードも大切です。安全も大切です。けれどそれ以上に大切なのは、その場所に流れている空気を壊さないことだと私は思っています。

だからこの仕事では、技術だけではなく、人としての姿勢が問われます。急いで終わらせることよりも、丁寧に向き合うこと。作業をこなすことよりも、信頼を積み上げること。その積み重ねの中で、少しずつ仕事の意味が見えてきました。

10年前には、ここまで深く考えていたわけではありません。ただ目の前の仕事を必死にこなしていただけでした。でも、現場の数が増えるほどに、この仕事は、人の人生の最後の場面に関わる仕事なのだと、少しずつ実感するようになりました。

だからこそ、軽い気持ちでは続けられません。そして同時に、簡単にやめることもできない仕事になっていったのだと思います。

また、続けてこられた理由のひとつは、人が支えてくれたからです。

一緒に現場に立つスタッフの存在はとても大きいです。最初は緊張していた人が、少しずつ現場を読めるようになっていく。作業だけでなく、ご依頼者への声のかけ方や、空気の受け取り方まで育っていく。その姿を見るたびに、この仕事は人を鍛える仕事でもあると思います。

楽だから続いたわけではありません。むしろ、楽ではないから続いたのかもしれません。

簡単にこなせる仕事なら、ここまで考え続けることはなかったと思います。悩みながらでも、迷いながらでも、この仕事に向き合い続けてきたのは、自分の中で手応えがあったからです。人の役に立ったと、自分でも納得できる瞬間があったからです。

私は、仕事は自分が稼ぐためだけを、目的にするものではないと思っています。誰かの困りごとを引き受け、目の前の現実に手を入れ、少しでも前に進める形にする。その積み重ねの中でしか、本当の信頼は生まれないからです。

遺品整理の仕事には、そう言い切れる何かがあると思っています。もちろん、これは私の経営者としての姿勢ですので、遺品整理業界がすべてこの通りだとは言い切れません。とにかく、10年という時間は、長いようでいて、あっという間でもありました。

ただ、ひとつ言えるのは、10年続けたから立派なのではないということです。続けた年数よりも、その間に何を引き受けてきたかのほうが大事です。

面倒なことから逃げずに向き合ったか。誰かの大変さを、自分ごととして受け止めたか。現場でごまかさずに働いてきたか。その積み重ねが、今の10年につながっているのだと思います。

だから私は、これからこの仕事を目指す人に、特別な覚悟を求めたいわけではありません。ただし、楽そうだからという理由では、きっと続きません。

反対に、人の役に立つ実感を持てる仕事がしたい人、自分の働き方に手応えを持ちたい人、きれいごとではない現実の中で信頼を積み上げたい人には、向いている仕事だと思います。

なぜ10年続けているのか。それは、この仕事が大変だからです。
大変なのに、必要とされるからです。
大変なのに、終わったあとに確かな手応えが残るからです。

そして何より、誰かの人生の節目に立ち会うこの仕事に、私は今も責任を感じているからです。その責任を、重いだけで終わらせず、価値に変えていく。
それが、私が10年続けてきた理由です。